歴史的建造物を着物で観光

京都の観光名所、本能寺。繰り返される焼失で取られた施策とは

京都の観光スポットとしても有名な本能寺と言えば、真っ先に思い浮かぶのは「本能寺の変」です。
織田信長が明智光秀に暗殺されたとされる、あの本能寺。

名ばかりが有名で、実際に行ったことがある人はどれくらいいるでしょう。
そしてその立地に、どれくらいの方が驚かれたことでしょう。

 

目次

 

  1. 現在の本能寺は、商店街の中に建てられています
  2. 京都にある現在の本能寺は、移転されたもの
  3. 京都の観光地、本能寺の歴史
  4. 京都での焼失を免れるために、本能寺が取った施策とは?
  5. 読み方はそのままに、漢字を捻った「ほんのうじ」
  6. 着物で行く、今回ご紹介した京都の観光スポット

 

 

現在の本能寺は、商店街の中に建てられています

 

京都で観光するなら本能寺の立地を知る

 

現在の本能寺は、日常生活の中に溶け込むように、商店街の中に建てられています。

大きなアーケードの下。
寺町商店街と呼ばれる長く、広い商店街です。

京都に住む人々は、出勤や通学、買い物途中にその前を通っては、日々過ごします。
そこに本能寺があることを知っている人もいれば、まだ小さな子供たちは、その前を通っても「なにかお寺みたいなものがある」という思いしかないかもしれません。

決してひっそりと佇んでいるわけではないのですが、やはり生活の中心でもある商店街の中にあると、その価値の大切さを見失うかもしれませんね。

 

観光スポットとして有名な現在の本能寺の立地

 

観光で有名な京都の街並み

 

場所は、東西に大きく走る広い通り、御池通の内、南北に走る寺町通を南に少し進んだところにあります。
住所で言うなら、寺町通御池下ル、ですね。

京都ではお馴染みの「上ル」「下ル」「西入ル」「東入ル」です。
南北に走る通りの名前と、東西に走る通りの名前を組み合わせ、そこを起点に、東西南北どちらに進めば辿り着けるのか。
そういったことが住所から読み取れるのです。

これは「碁盤の目」と呼ばれる、方眼紙の目のような区切られた京都の市街地だからこそ言えるもの。

本能寺はそんな市街地の端の方に位置します。

 

 

京都にある現在の本能寺は、移転されたもの

 

観光名所として有名な本能寺。
場所は商店街の中、寺町通御池下ルと書かせていただきましたが、これは実は移転した本能寺です。

というのも、本能寺の変で焼失してしまった後、豊臣秀吉が現在の位置に本能寺を移転・再建したからです。

焼失してしまったから移転したのか?
いいえ、それならもっと早くに移転されていてもおかしくはありません。

なぜなら、本能寺の変が起こるまでに、一度、本能寺は焼失してしまっているからです。

実を言うと、本能寺は「移転」と「再建」と「焼失」を繰り返しているお寺です。

 

 

京都の観光地、本能寺の歴史

 

移転を繰り返す京都の寺

 

本能寺がはじめて建てられたのは、1415年のこと。
室町時代の法華宗の僧、日隆が建立したもので、その当時は「本応寺」という名前でした。
しかしその後、法華経の解釈をめぐり、日隆と対立していた月明が本応寺を破却。
1418年のことです。

建立してから約3年で破却されてしまった本応寺。
再建されたのは破却されてから11年後のことでした。

1429年には、山本宗句の援助で本応寺が移転し、再建されました。
移転・再建場所は、おそらく現在の二条城の北西ではないかと言われています(①)。
創建時の立地から考えると、北に移ったわけです。

無事に再建された本応寺。
しかし、その位置にあったのはわずか4年のことでした。

1433年、如意王丸によって本応寺は南東の方に移転されます(②)。
ちょうど、創建当時の場所と、はじめての移転先とを斜めに線を引いた真ん中の辺り。
そこが第二回目の移転先と言われています。
そしてこのとき、再建されたお寺に「本能寺」という名前がついたわけです。

さて、この寺号の変更。
これが悲劇のはじまりでした。

 

焼失を繰り返す本能寺、その数は実に4度

 

本能寺と名前が変わってから、最初の焼失は1536年のことです。
再建から100年後、本能寺は天文法乱で焼失しました。

焼失した本能寺は、さらに東側へと再建され、そしてまたしても焼失します(③)。
最初の焼失から50年余りが経った後。
再建からわずか40年弱のことです。
これが歴史的にも有名な「本能寺の変」です。

さらに本能寺は豊臣秀吉の命により、現在の位置に移転・再建されますが、200年弱を経た1788年、天明の大火で焼失(④)。

再度その場に再建されるも、1864年には禁門の変で焼失。

今わかっているだけでも、本能寺は4度の焼失を繰り返しています。

 

 

京都での焼失を免れるために、本能寺が取った施策とは?

 

観光として有名なお寺

 

これほどまでに焼失を繰り返す本能寺。
年数を数えてみると、なんと平均75年に一度の確率で焼失していると言います。

そしてその度に再建しているわけですが、なにもみな考えなしに再建しているわけではありません。
再建されるたびに本能寺は防災面が強化されています。
それは織田信長が本能寺を安全だとし、何度も滞在していたほどのもの。

それでも度重なる焼失に、いよいよこれはなにか別の禍でもあるのではないかと考えました。

そうして取られたのが一つの施策。
寺の改名です。

 

本能寺には「ヒ」が二つ存在する

 

本能寺の能には「ヒ」が二つあります。
それが「火火」と解釈され、これは縁起が悪いぞという話になりました。

ですが、あなたもご存知の通り「ほんのうじ」と呼ばれるお寺は今尚健在です。
漢字にするとみなさん「本能寺」と思い浮かべることでしょう。
変換機能ですら、本能寺という漢字しか出てきませんから、今現在の「ほんのうじ」がどうなっているのかご存知でない方も多くいらっしゃいます。

実際に行ってみるとわかるのですが、「ほんのうじ」という漢字。
私たちの知っている漢字とは、少し異なっています。

 

 

読み方はそのままに、漢字を捻った「ほんのうじ」

 

私たちは「本能寺」と書く場合しか知りません。
それは歴史上あまりにも有名な「本能寺の変」からの知識です。

しかし今現在、実際に京都の本能寺に行ってみると、お寺の漢字が違うことに気がつきます。

 

読み方は「ほんのうじ」ですが、漢字は「去」?

 

ヒが二つあった「能」という字の右側が「去」になっています。
けれどその「去」もなんだか少し斜めになっているような?

火を彷彿させ、縁起が悪いと言われる「ヒ」。
ならば突き抜けて、ヒとは読めないようにし、さらにヒが去るようにと漢字を改変したのです。

だから本能寺の漢字は、私たちの知る漢字とは違っているわけです。
実際に見てみると「わっ、本当だ!」と驚き、感心することでしょう。

 

 

着物で行く、今回ご紹介した京都の観光スポット

 

法華宗大本山 本能寺
公式サイト:http://www.kyoto-honnouji.jp/
アクセス:http://www.kyoto-honnouji.jp/access/index.html

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